ニッカリ青江の伝説

刀の伝承には霊を斬ったという話も残されています。特に有名なものが、ニッカリ青江という刀です。京極家には狂歌が残っており「京極にすぎたるものが三つある ニッカリ茶壺に多賀越中」と、江戸時代に歌われています。このニッカリというのが、ニッカリ青江という刀です。

刀の持つ逸話から、このような名前がつけられました。あるとき、浅野長政の家臣が伊勢路を旅していたときのことです。

用事があって急いで夜道を歩いていたところ、路傍に若い女が佇んでおり、ニッカリと笑いかけられました。こんな場所に若い女がいるはずもない、化け物に違いないと判断して、抜き打ちで首を落としました。翌日になって同じ場所に来てみましたが、斬られたはずの女はその場にいません。代わりに地蔵の首が転がっていたそうです。それから、佩刀していた刀が備中国青江貞次の作だったために「ニッカリ青江」と呼ばれるようになったそうです。

ただし、この話は少しずつ違ったバリエーションを持って伝えられているため、ニッカリと笑った妖を斬ったら不動尊の顔であった、石灯籠であったなど、どれが本当の話かは分かりません。ニッカリ青江は柴田勝家から勝久に伝えられて、続いて丹羽長秀に渡り、秀吉に献上されたそうです。

しかし秀吉の手から、今度は京極高次に渡されました。高次の姉が秀吉の寵愛の側室になったことが理由です。ニッカリ青江だけでなく、秀吉の妹を妻に迎えることもでき、尻蛍という陰口まで叩かれていたそうです。しかしおかげでニッカリ青江は京極家に今も保管されています。さまざまな伝説を持ちながら不思議な人脈をたどって今日までつながってきたことを考えると、不思議な刀であると言えるでしょう。