伝承の多い髭切

源氏重代とされる太刀と言えば、「髭切(ひげきり)」と呼ばれる刀が有名です。これは八幡太郎義家が、奥州で文寿と呼ばれる鍛冶に打たせた、もしくは三条派である小鍛冶宗近の高弟有国が打ったともと伝えられており、これは前九年の役の辺りであったと言われています。

このときに4人の捕虜の首を斬ったのですが、その際に顎髭までを断ったと言われることから、伝説を持つ太刀として有名になりました。髭切の作者については伝承も多く、はっきりとしていない部分も多いそうです。伝承によっては鬼切と呼ばれることもありますが、時代を確認してみると、現存している「鬼切安綱」とは違う刀であるということが分かっているそうです。

また、鬼切ではなく鬼丸と伝えられているものもありますが、こちらも鬼切から変化しただけと言われており、名前についても非常に混同しやすいと言われています。この鬼の伝承については、その名の通り鬼を斬ったことからきているそうです。頼光の四天王随一とされる渡辺綱が、馬に乗って一条大宮に行く途中、ある女性が「送って欲しい」と頼み込んできます。

馬に乗せて進んだところ、女性は鬼に変わり「わが行くところは愛宕山ぞ」と馬の鬣を掴んでしまいます。しかし綱は慌てず、「髭切」を抜いて鬼の腕を切り落としたという、名刀の奇談です。伝承が多い刀ですが、最も有名な『平家物語』においては、「最上の鉄を六十日鍛ひ、剣二つ」と、鍛冶の名手が打ち出したと記してあります。この二つの剣は「髭切」と「膝丸」であり、この二振りが頼光に伝えられているそうです。

一振りは人を切ったときに髭一毛と残さず切れたので「髭切」と名付け、もう一方は両膝を一刀両断したために「膝丸」と名付けたと言われています。